神楽坂で整体院をお探しの方へ|院長代理を務めた神楽坂通り整体院
東京都新宿区・神楽坂で整体院をお探しの方に、私がかつて院長代理として働いていた神楽坂通り整体院をご紹介します。
私にとって武蔵小山整体院が「整体師としての基礎を叩き込まれた場所」だとすれば、神楽坂通り整体院は、施術者として急激に実績を伸ばし、同時に自分の未熟さも思い知らされた場所です。
当時の私はまだ20代。
とにかく自信にあふれていました。
というより、今振り返れば完全に自信過剰だったと思います。
「自分ならこの院を立て直せる」
「大川グループで歴代No.1の成長をする」
本気でそう思っていました。
実際、異動から4か月ほどで月200人を超える患者様を担当するようになり、赤字だった院も黒字化しました。
しかし、数字が伸びれば一流の施術者になれるほど、この仕事は単純ではありませんでした。
神楽坂での数年間は、成功した思い出だけではありません。
現在の自分から振り返れば、むしろ失敗や反省から学んだことの方が多かったように思います。
今回は、実際にこの院で働いていた人間として、当時の神楽坂通り整体院と私自身の経験についてお話しします。
武蔵小山から神楽坂へ。「自分がこの院を救う」と思っていました

20代後半、私は大川グループの武蔵小山整体院で修業していました。
患者様を担当するようになり、施術人数も増え、少しずつ自信をつけていた時期です。
そんなとき、神楽坂通り整体院の院長が自然気胸で体調を崩しました。
もともと経営的にも厳しい状態だった院です。
このままでは神楽坂の院そのものがなくなってしまうかもしれない。
そこで私は神楽坂への異動を志願しました。
理由は単純です。
「俺なら立て直せる」
と思ったからです。
大川グループが大好きでした。
自分を育ててもらったグループの危機なら、自分が助けたい。
その気持ちは本物でした。
ただ、その一方で、
「自分ならできる」
「自分がこの院を救う」
と、完全に自分をヒーローだと思っていたところもありました。
武蔵小山で少し結果が出て、相当調子に乗っていたのだと思います。
一スタッフとして異動し、4か月で月200人を超えました

神楽坂には、一スタッフとして異動しました。
そこからは、とにかく必死でした。
来てくださった患者様に全力で施術する。
カウンセリングをする。
次の患者様を施術する。
空いている時間があれば練習する。
また施術する。
その繰り返しです。
そして異動から約4か月。
月200人を超える患者様を担当するようになりました。
当時の大川グループでも、月200人を超えて施術している人は、院長を含めても決して多くありませんでした。
そして異動から、わずか4か月。
月200人を超える患者様を担当するようになりました。
「月200人」という数字だけなら、現在の私もそれ以上の施術をしています。
しかし、今振り返っても異常だったと思うのは、その人数ではなく到達するまでの速さです。
新しい院へ一スタッフとして異動し、ほとんど担当患者様がいないところから、わずか4か月で月200人を超えました。
当時の大川グループでも、月200人を担当する施術者は院長を含めて多くありませんでした。
それを4か月で達成した。
若さもありました。
技術を身につけたいという執念もありました。
「この院を自分が救う」という思い込みに近い使命感もありました。
今の自分が当時を振り返っても、あの4か月の勢いは少し異常だったと思います。
赤字だった神楽坂通り整体院も黒字になりました。
そして、この成功体験が20代の私をさらに天狗にしていきます。
「やっぱり自分ならできる」
「このままずっと右肩上がりで伸びていく」
本気でそう思っていました。
月200人を超えても、そのまま伸び続けたわけではありません
ところが、現実はそんなに甘くありませんでした。
一度200人を超えたからといって、その後も250人、300人と右肩上がりに増えていったわけではありません。
しばらくすると、月170〜180人ほどで落ち着くようになりました。
今振り返れば当然です。
勢いはありました。
必死さもありました。
技術の練習量にも自信がありました。
しかし、施術者としての本当の地力はまだ十分ではありませんでした。
当時はかなり強い刺激でトリガーポイントを施術していました。
カウンセリングでも、自分が正しいと思うことをものすごい勢いで話していたと思います。
患者様のためだと信じていました。
でも今振り返れば、
「自分の施術を受けてもらいたい」という気持ちが強すぎた
ところもありました。
がむしゃらさと勢いで患者様に来ていただくことはできても、それだけで長く信頼関係を築けるわけではありません。
月200人という数字を一度出せたことより、その後伸び悩んだ経験の方が、今の私には大切だったと思います。
「自分が一番施術すること」が院を守ることだと思っていました

当時、村井先生は武蔵小山整体院と神楽坂通り整体院、両方を見る体制を目指していました。
その中で、当時もっとも勢いのあった私を神楽坂の現場に抜擢してくださいました。
私は実質的に院長代理として、現場を任されるようになりました。
20代で院の数字を背負い、患者様を施術し、現場を守る。
大きな経験をさせてもらいました。
ただ、当時の私には大きな勘違いがありました。
大川グループの中でもトップクラスの施術数を担当する自分が、新しく来院された患者様を誰よりも多く担当する。
自分が施術する。
自分が次回につなげる。
自分が数字を作る。
それこそが院を守ることだと、本気で思っていました。
自分ができればいい。
自分が結果を出せば院はうまくいく。
そんな考え方です。
スタッフを育てることなど、ほとんど考えていませんでした。
今考えると、院長代理として本当に未熟でした。
「自分ができる」と「院を強くする」は違う

現在、自分で院を経営するようになって分かります。
一人の施術者だけが結果を出しても、院全体が強くなったことにはなりません。
その人がいなくなれば、そこで止まってしまいます。
本当に院を育てるなら、自分が持っている技術や考え方を周囲に伝えなければならない。
スタッフ自身が考え、施術し、患者様から信頼していただけるようにならなければならない。
今の私が大切にしているのは、
自分ができるのは当たり前。人にできるようになってもらうこと。
です。
神楽坂時代の私とは、ほとんど正反対です。
この考え方にたどり着くまでには、ずいぶん時間がかかりました。
未熟だった私を可愛がってくださった患者様
神楽坂という土地柄もあり、経営者や企業の重役など、社会の第一線で活躍されている方を担当する機会も多くありました。
まだ20代だった私を可愛がってくださる方もたくさんいました。
施術者としてだけでなく、一人の人間として多くのことを教えていただいたと思います。
医師の先生から推薦文をいただいたのも、この時期です。
また、武蔵小山時代から私の施術を受けてくださり、神楽坂への異動後もついてきてくださった患者様もいました。
若く、勢いばかりで、今よりずっと未熟だった私です。
それでも身体を任せてくださった。
今振り返ると、本当にありがたいことだったと思います。
当時は「痛いほど効く」と思っていたところがありました

神楽坂時代の私は、トリガーポイントへの施術にもかなり強い刺激を使っていました。
硬い筋肉を見つけたら、しっかり押す。
痛みが強い場所ほど、そこを何とかしようとする。
今振り返れば、ずいぶん力任せでした。
患者様の身体を良くしたいという気持ちは本物でした。
ただ、身体の使い方も施術の力加減も、まだ未熟でした。
そのため施術をすればするほど、自分自身の首や肩にも強い緊張が残るようになりました。
この時点で大きく身体を壊したわけではありません。
それでも、後に自分自身の身体や施術方法を見直すことになる兆候は、すでに神楽坂時代から出ていたのだと思います。
現在は、ただ強く押すのではなく、患者様が余計な力を入れず、リラックスして施術を受けられることを大切にしています。
同じトリガーポイントへのアプローチでも、20代の頃とはずいぶん変わりました。
神楽坂で、ピラティスにつながるきっかけがありました
現在のふじさわ整体院では、整体だけでなくピラティスも取り入れています。
その始まりをたどると、神楽坂時代のある患者様との出会いにつながります。
ピラティスをされている方の身体に、施術で触れる機会がありました。
そのとき、
「筋肉の状態がすごくいいな」
と感じたのです。
毎日のように多くの方の身体に触れていたからこそ、その違いが気になりました。
話を聞くと、その方が銀座のピラティススタジオに通っていることを教えてくれました。
私は気になると、すぐに試したくなる性格です。
そのスタジオへ行き、自分でもピラティスを体験しました。
首には一切触れていないのに、終わった後に首がとても楽になっている。
その経験は衝撃的でした。
「これはどういう仕組みなんだろう?」
その疑問が、後に私がピラティスを本格的に学ぶきっかけの一つになりました。
ただ、それはもう少し後の話です。
神楽坂は、食事も街歩きも楽しい場所でした
仕事以外では、神楽坂という街そのものも大好きでした。
路地に入ると昔ながらの雰囲気が残り、その一方で美味しい飲食店がたくさんあります。
当時は1,000円ほど出せば、美味しいランチをいろいろ楽しめました。
仕事の合間や休みの日に、たくさん美味しいものを食べました。
都会でありながら下町の雰囲気も残っている。
歩いているだけでも情緒を感じる街でした。
ただし、家賃は高かったですね。
当時住んでいた部屋は狭く、洗濯機すら置けませんでした。
その点は、現在暮らしている藤沢の方が私には合っています。
神楽坂でがむしゃらに働いていた20代の自分と、藤沢で院を経営している現在の自分。
街の違いを見るだけでも、自分の生き方がずいぶん変わったと感じます。
院長になるため、神楽坂を離れました
その後、私は藤沢へ異動することになります。
理由の一つは、
自分が院長になりたかったからです。
当時の私にとって、院長になることは大きな目標でした。
もっと成長したい。
もっと結果を出したい。
自分の院を任される人間になりたい。
その気持ちに迷いはありませんでした。
でも、神楽坂を離れるということは、それまで私を信頼して身体を任せてくださった患者様との関係を置いていくことでもありました。
当時は前ばかりを見ていました。
院長になる。
もっと上へ行く。
次の場所で結果を出す。
そのことばかり考えていました。
藤沢まで1時間かけて来てくださった患者様が10人以上いました
藤沢へ異動してから、驚いたことがあります。
神楽坂や東京方面から、1時間ほどかけて藤沢まで私の施術を受けに来てくださる患者様が10人以上いたのです。
本当にありがたかった。
同時に、申し訳ない気持ちにもなりました。
ありがたい。
でも、ごめんなさい。
その二つの感情が激しく交差していました。
自分が院長になりたいという夢を優先して、それまで患者様と築いてきた絆を自分から置いてきたのではないか。
もちろん、すべての方が藤沢まで来られるわけではありません。
仕事があります。
家庭があります。
距離もあります。
私が場所を移れば、それまでのように身体を診ることができなくなる方がいるのは当然です。
今になって、改めて思います。
ずっと身体を診てあげられなくて、ごめんなさい。
自分の夢を優先して、それまで築いてきた関係を置いてきてしまったことを申し訳なく思っています。
そして、
未熟だった私を信じて身体を任せてくださって、本当にありがとうございました。
武蔵小山から神楽坂へ。
そして中には、さらに藤沢まで。
ずっと私を頼ってくださった患者様もいます。
今でも藤沢まで通ってくださっている方もいます。
十年以上のお付き合いになりました。
今でも、患者様のお名前とお顔を思い出します
この記事を書きながら、当時のことをずいぶん思い出しました。
不思議なものです。
月200人という数字も覚えています。
赤字だった院が黒字になったことも覚えています。
でも、それ以上に思い出すのは、患者様のお名前とお顔です。
「あの方、元気にしているかな」
「あのとき、こんな話をしたな」
「あの方には、こんなことで喜んでもらったな」
一人ひとり、思い出します。
若い頃の私は、施術技術を磨くことばかり考えていました。
実績を作りたかった。
誰よりも多く施術したかった。
一番になりたかった。
でも、この仕事を長く続けてきて、今は少し違うことを思います。
まず目の前の人を大事にすること。
その人の身体だけではなく、その人自身に興味を持つこと。
話を聞くこと。
その人のことを好きになること。
そうやって大切に接していると、不思議と相手からも大切にしていただけます。
もちろん、すべての方と長いお付き合いになるわけではありません。
数回で施術を終える方もいます。
転勤される方もいます。
生活が変わる方もいます。
それでも、そのとき目の前にいる人に誠実に向き合う。
それを積み重ねていくのが、この仕事なのだと思います。
神楽坂で残ったものは、施術人数ではなく人とのつながりでした
神楽坂へ異動した頃の私は、
「自分がこの院を救う」
と思っていました。
4か月で月200人を超えたときには、自分の力を証明できたような気持ちになっていたと思います。
でも、十年以上経った今、神楽坂時代を振り返って最初に浮かぶものは数字ではありません。
患者様のお名前です。
お顔です。
一緒に働いた人たちです。
育ててくださった先生方です。
そして、未熟だった自分に身体を任せてくださった方々との時間です。
施術人数や売上の記録は、いつか誰かに抜かれます。
でも、人と人との間にできたものは、そんな数字とは違う形で残ります。
人を大事にして、まず自分から相手を好きになる。
そうすると、自分も相手から大事にしてもらえる。
20代の私は、そんなことを考えて施術してはいませんでした。
ただ必死だっただけです。
でも、必死に患者様と向き合った日々の中で、知らないうちに教えていただいていたのだと思います。
私にとって神楽坂通り整体院は、施術者から院長へ向かい始めた場所です
武蔵小山では、整体師としての基礎を教えてもらいました。
神楽坂では、それを使って自分で結果を出す経験をしました。
同時に、
自分一人が結果を出すだけでは、院を作ることはできない
ということも、後になって学びました。
現在の私は、自分だけが患者様から評価されればいいとは考えていません。
スタッフが成長する。
スタッフ自身の患者様が増える。
私とは違う得意分野を持つ人が育つ。
そして、それぞれが患者様から信頼される。
今の私にとっては、そちらの方がずっと嬉しいことです。
そして自分自身も、目の前の患者様一人ひとりをこれからも大切にしていきたいと思っています。
神楽坂での成功も、失敗も、勘違いも、患者様との出会いも。
全部が現在の自分につながっています。
だから私にとって神楽坂通り整体院は、単に以前勤務していた整体院ではありません。
一人の施術者から、院を任される人間へ向かい始めた場所です。
そして今振り返ると、
「人と向き合う仕事のありがたさ」を教えてもらった場所でもあります。
本当に、いい仕事を選んだと思います。
神楽坂周辺で整体院をお探しの方にとって、このページが一つの参考になれば嬉しく思います。
そして、当時まだ未熟だった私を育ててくださった大川グループの先生方、身体を任せてくださった患者様、一緒に働いてくださった皆様に、改めて感謝しています。
ありがとうございました。

【住所】東京都新宿区神楽坂5-30-2 イセヤビル4階
東海道線・小田急線・江ノ島電鉄線 藤沢駅南口より徒歩3分
| TEL | 0466-53-8667 |
| 受付時間 | 10:00~20:00(平日) 10:00~16:00(土日祝) |
| 定休日 | 毎週火曜日 |
| お問い合わせ | contact@fujisawaseitai.com |
| https://www.facebook.com/fujisawaseitai | |
| 口コミサイト | http://www.ekiten.jp/shop_6758763/ (神奈川県1位評価) |
どんな小さなことでもお気軽にご相談下さい。


